書店員のよしなしごと

読んだ本についてぼちぼち紹介いたします。

料理をしたくなる、レシピ本の本「食べたくなる本」

レシピの本を「読む」ということ

言うまでもないことながら、レシピ本というのは実用書であって、調理に際してその方法を知るために参照されるものだ。

しかし、高度に専門的な、言わば「プロフェッショナル向け」のレシピ本も書店には多く並んでいて、またそれを買い求める人も多い。そのうちのどれ程がその本を「実用」しているのだろうか。

個人的には買ったは良いもののほとんど使うことなく、しかし時々取り出しては眺めているレシピ本も多い。

レシピの本を実用的でなく読むことの意味とは何か。そもそもそこに意味というほどのものは存在するのか。

本書を読んで、漠然と抱いていたその問いに対する、一つの答えを与えられた様に思った。

本書は一口にいうと、「料理本の本」である。

様々な料理の本(とくにレシピ本が多い)に対して、著者の体験、意見などが述べられる。広い意味で「食エッセイ」とも言えよう。

「食」というのは生きていく上で欠くことのできない行為であるせいか、個人のこだわりが強いもののように思われる。

「美味しさ」の基準というものを個々人が持っていて、それぞれに大切にしている。

こだわりが強ければ、人は時として排他的になりがちだ。たとえば、目玉焼きに何をかけるかを語るとき、醤油派の人は「ソースをかけるなんてありえない」などと言ったりする。大げさに言えば、そこには容易には埋めがたい断絶がある。

レシピの本を読むときなどでも、程度の差こそあれそう言った「断絶」は存在するように思われる。一度「自分の味」「我が家の味」が定まってしまえば、それを差し置いて見知らぬレシピ通りに作ってみることは少ないのではないか。

しかし、あとがきにおいて著者はこう述べている。

「おいしい」と感じるその感受性のかたちそれ自体をかぞえあげることが目指されている。自分のまだ知らない「おいしい」に触れることは喜びである。

この、自分と異なる価値観や考え方に対する、著者のおおらかさのようなものを読書中たびたび感じることがあり、それが心地よかった。

今まで自分の尺度で以って「実用的でない」として、読むだけで満足してきたレシピや、「好みでない」と思って捨て置いていたものも、新しい気持ちで取り組んでみて、その背景にある自分とは違う「おいしい」の基準に思いを馳せてみたくなった。

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